ダラスフォートワース空港にて

日本からアメリカ大陸の国・都市へ行く場合、ノンストップ便というのはあまり多くなく、たいていは米国内のゲート都市で乗り継ぐということが多い。シアトル、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、ダラス、シカゴ、アトランタ等。NY等東海岸の都市は確かに欧州からのゲートではあるけれど、日本から乗り継ぎで使用することはあまりないかな。カリブ諸国・南米へ行くときはマイアミがゲートになることも多いが、日本からマイアミ直行便はなくて、たいてい別ゲートから国内線でマイアミ入りすることになる。

国際線で入って国内線乗継とか、全く提携していない航空会社同士の国際線の乗り継ぎの場合、その空港で入国審査はするものだが、米国の場合は同じ航空会社や提携航空会社でまた国外へ出ると言う場合は入国審査を省略し、代わりにIn-transit roomというところで次の出発まで待たせるということをやってくれることが多いようである。入国審査は面倒なものなので、省略してくれるのはこれはこれで有難い。たかがTransitなのに入国審査の長い列に並ばなくてはならないのは面倒ですしね。荷物の取り出しとかもありますし。

で、今回はカンクンへ行くのにダラスフォートワース空港(DFW)で乗り継ぐことになり、成田からAA60便で到着した。機内で入国審査・税関の書類を配られたが、そのときにはIn-transitの件について何も説明が無かった。到着直前(つまり書類を全部書いた後)になって、空港で乗り継ぎを案内する係がいるので、というアナウンスが流れた。必要無いなら配るな、って感じ。用紙ももったいない。

ダラスのIn-transitはかなり無理があると思う。AA60便の乗客のかなりの人数が乗り継ぎだったらしく、その大量の乗客を一人の係官が大声を張り上げながら部屋まで誘導していた。そのほとんどは日本人だったから、端から見ると滑稽だったろうなぁ。まるで牧場犬に誘導される牛の様(笑)。
以前にメキシコシティへ行くとき利用したロスのtransitでは、ここダラスほどには国際線−国際線乗り継ぎをする人は多くなかったとみえてまぁまぁくつろげた(それにしても閉鎖された空間であるから息苦しいことには変わりない)。が、ここダラスはIn-transitを利用する人数に対しての部屋のスペースが狭過ぎる。芋洗いという言葉がまさにピッタリ。それも色んな種類の芋だ(笑)。逆にいうと、これだけの人数がIn-transitしないで入国審査してたら審査場があふれますね(笑)。勿論、こんな狭いスペースには売店も軽食程度の小さな店しかない。transitで何か買おうっていうのが間違っていますけど(笑)。
...そんな事を考えている間にも、信じられないほどの人数が次から次へと到着してくる。これが、南米・中米・カナダ・ヨーロッパへとくまなく分かれていくのだ。日本からの便の到着も、たまたま混んだ時間に当たってしまっているのか...。ダラスはアメリカンのホームであるため、これらの便の殆どはアメリカンである。儲かってるなぁ。

成田からダラス経由でトロントへ向かうという日本人が相当数いたのには驚いた。普通に考えれば、カナダの会社で直行便orバンクーバー1stopが何本か運行されているから、そっちのほうが速くて便利だろうに。これって安いからなんだろうか?米系だと、こういう選択肢しかないのか?

 


サンフランシスコ滞在にサンノゼ空港利用は不便

アメリカン航空は東京(NRT)−サンフランシスコ(SFO)間のフライトを持っていない(正確にいうと、日本航空の機材・クルーを使った共同運航便はある)。このため、隣の都市のサンホセ(サンノゼとも言う)から乗り入れている(サンホセ線もJALとの共同運行便だが、これはアメリカンの機材とクルーによる)。
隣といっても、サンフランシスコ市街へ行くにはかなりの時間を要する。サンフランシスコ・サンホゼ観光局のサイトによれば、車だと1時間半。

サンフランシスコに3日間滞在することになり、帰りに使うサンホセ空港との交通をどうしようかと考えていたところ(行きは別都市から入るためサンフランシスコ空港を利用)、サンホセ−東京線の利用者向けにサンフランシスコ市街−サンホセ空港間の無料送迎バスのサービスがあるということを知り、カミさんがアメリカン航空東京オフィスに問い合わせの電話をした。すると、日本出発前から予約を入れて頂く必要がある(日本法人独自のサービス)とのことだったので、その場で予約を入れた。チケット等は発行されず。その時の指示は、サンフランシスコのウェスティン・セントフランシスホテルのGearySt.側の壁にAAの看板が埋め込んであるので、その前をうろうろしていれば、名前ボードを持った者が現れる、とのことだった。必ず乗って下さいね、と念押しされた。

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で、約束の現地1999年9月10日午前9時。10分前からセントフランシス前で待つが、全くそのような者は現れない。
9時10分。セントフランシスのロビーフロアにアメリカン航空のカウンターがある。外にカミさんを残して出向き、バスが来ないと尋ねたところ、GearySt.でもう少し待ってれば数分で来るだろう、とのお決まりの指示。周囲でこのバスを待っている人がいるかどうか聞いてみた(全て外国人)が、誰もがサンフランシスコ空港行きを待つ人だった。
9時20分。しょうがないので、通り沿いの電話ボックスからアメリカン航空の米国内のトールフリーダイヤルへ電話。すると、日本独自でやっているサービスであるから米国側では分からないので、現地の委託先であるドリームツアーに聞いて欲しいと言われた。そのまま回してもらったところ、何とドリームツアーでは「今日の予約は0件ですね」(!)との返事。「何故だ」と電話の相手に問い詰めたところで、彼らは所詮は委託されてやっているだけのこと。「(ドリームツアーでは)アメリカンから言われなければ動かないしアメリカンに聞いてくれ」、「(今から車を回しても間に合わないので)タクシーで行ったら」とのつれない返事。再びアメリカンに電話が戻ったが、米国側では分からないし取り敢えずすぐに空港へ向かわないと間に合わないから、タクシーを使って領収書を受け取り、それを持って日本のアメリカン航空と交渉してみて、とのアドバイスを受けた。この時既に9時30分。
この電話中に「ドリームツアーへリコンファームはしましたか」などとも聞かれたが、このバスにリコンファームする必要があるなんて事前に聞いていないし、そもそもドリームツアーという他業者が絡んでいることもその連絡先も聞かされていないわけだ。そんなの知るか!って感じ。そう、米国サイドは全く預かり知らぬ件なんですね。
...とまぁこんなやり取りをしている間もずっと通りから目を離すことはなかったが、来ていない。車の出し手が車を出していないって言ってるんだから当たり前だが。

サンフランシスコ市内−サンホセ空港間のエアポートシャトルのような乗合バスもないわけではないが、悠然と待っている時間と心理的余裕がない。タクシーしか手はないわけだが、これを使うと料金+チップで120ドルを超える。キャッシュが足りないので、近くの雑貨屋にあったATMでクレジットカードからUS$キャッシュをキャッシングする。やり方が良く分からなかったので焦った。タッチパネルにキャッシングらしきボタンが無く、Withdrawalとかしか出てこないのだ。Withdrawalといえば「脱退」とかを想像してしまうが、お店の人に手伝ってもらって操作してもらったらそれを押したんで、どうやらキャッシングのことをWithdrawalというらしい(^^;;)。
そこからすぐ近くに見えたサンフランシスコ・ヒルトンの前からタクシーを拾う。流しで拾うよりは法外な料金を吹っかけられることもないだろうし安心だ。
乗る前にドライバーから提示を受けた金額は135ドル。通常であればおおよそ1時間程度で着くとのことだが、Traffic次第であるとのこと。私達が急いでいるふうを察してくれたのか、出来るだけ急ぐと言ってくれた。出発したのが9時45分。

言葉どおりにトバすトバす。結局10時30分過ぎに到着し、時間的には事無きを得た。なんと45分!トバしたんだから(釣り銭をマケてよ)、ということで最終的には140ドルかかった。領収書も書いて貰った。
各当事者からアオられまくって慌てふためいたものの、結果的にはチェックイン期限には間に合った。2日前にフライトのリコンファームをしたときには2時間前までには必ずチェックインして欲しいと言われており、その指示を額面通りに受け止めれば10時55分にはチェックインが終わっていなければならなかったところ。

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無事飛行機には乗れて帰国出来たわけだが、釈然としない。到着直後、成田空港の到着口にあるアメリカン航空の手荷物カウンターで経緯を説明してタクシー代の返却を求めたところ、担当のSさんが端末をタタいた上でおっしゃられたのは、予約は私達を含めても何件か入っており、他の客はバスに乗っているみたいだ、とのこと。端末では航空券の予約とともに、このコンプリメントのバスの予約が用意されていて、合計2本建の予約となっているらしい。
そんなことはない、あの通り沿いに車は来なかった、そのような人達(=日本人)も誰も待っていなかった、と反論し、現地でのトールフリーおよびドリームツアーとのやり取りも説明したところ、端末に私達がそれらに電話していることが記録に残っていたらしい。...ということは予約日が間違っているということでもないようだ。
この記録が決め手となって私達の主張が通り、銀行口座等の必要事項を用紙へ記入し、領収書とともにSさんへ託すことができた。通常このようなクレームは受けられる類ではない(たとえ客側の理由でない遅延だとしても、「タクシー」料金の補填は絶対しない)とのことだったが、現地での主張が実ったわけだ。これって確かに、乗客側の不手際による乗り遅れ等と紙一重。いくらドリームツアーが車を出していなかったことが根本原因だとしても、このクレームをしなかったらバス乗車を放棄したと受け取られかねないからだ。

ただ、この場ではなぜ東京での端末と現地の実際の予約状況が異なるのかは分からなかった。しかし、現地では予約など入っていなかったというのは事実。今後のためにも解明する必要があるだろう。
Sさんは、「何かチケットのようなものは受け取っているんですか」と聞いてきた。...ということは、彼も端末検索でしかこのバスの件は心得ていないようで、このバスの予約についてどういう方法で客とやり取りしているのかはよく知らないようだ。

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帰国は土曜だったので、月曜になってアメリカン航空東京オフィスへ電話した。文句を言いたかったわけではない。電話の相手には、クレーム処理についてはSさんと話しがついているため、この電話の目的はどうしてこのようなことが起きてしまったのかを聞きたいだけだと申し上げた。このようなケースは初めて聞いた、とのこと。
コトが起こった現地10日(東京11日)のデータが今日の時点では既に旧データとなってしまったので引き出せないため確認が取れない(=Sさんがどの画面を見てそのように判断したのかがこの場では分からないため判断しかねる)が、上役に話して善処する、との回答は得た。予約番号が分かればデータが引き出せるとのことだったが、旅行会社を通してツアーチケットとして航空券を購入している私にはそんなもの知る由もない。善処とはいってもこの時点では結局何の進展にもなっていないが、この言葉を信じて、会社として適切な対応をとって頂けるように期待したいとは思う。Sさんは真摯な対応をとってくれたし。

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コンプリメントのためチケット類は出していないがフライトクーポンで確認は取っている、という。しかし、それはその場のみ、つまりバスに乗ろうとする人が乗れる客か乗れない客かを判断することだけにしか意味を為さない。無料だから、という甘えとやる気のなさと責任感のなさが垣間見える。
タダだから別に乗らなくても問題ないだろう、などという甘い考えのもと、予約したのに乗らない、という悪気ある客がいるのもまた事実なのかも知れない。必ず乗って下さいねという忠告も、こういう事が全て反映されて出た発言だったのか、と勘繰りたくなる。

しかし、私達はこのサービスを信じて指示通り待っていたのであって、こうした善意の一般客にすれば、突然サービスがないと言われても困ってしまう(甘いかな)。こういう予測困難なトラブルが発生した場合にでも、適切にリカバリーできるような対策が欲しい。サービスを受ける場所は日本ではなく時差16時間もある米国なのであり、その米国本社が全く絡まずに日本法人から現地業者へ直接予約を入れたりしているというシステムでは、全く心許ない。今のままでは各当事者の責任関係が明確でない。こんなのが原因で飛行機に乗り遅れたら、と思うと背筋が寒いです。

具体的には、いくらタダでも何らかの書面を事前に利用者に手渡すとか、あるいは利用者にリコンファームさせるようにするとか。または、タダで弊害があるなら例えば10ドルくらい料金を取って運行するとか。
現地サンフランシスコに適切な担当者を置いて、ケアを行うべきであろう。例えばセントフランシスにあるカウンターで乗車手続きを取るとか。

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ということで、無料で乗れて利便性はあるハズですが、無料故に問題アリだと思います。東京オフィスのかたは、今まで問題なく運営してきたと弁明されておりましたが、こうして問題は起こったのです。
現在のシステム下でこのような状況に追い込まれた場合、取るべき策はこうなるだろう。

  • とにかく現地当事者へ電話連絡を入れること
    (自分達の非ではないことを記録に残させるため)
  • 成田へ戻ったら、その足でカウンターに連絡を入れること
    (その日を過ぎてしまうと当時の情報が端末から消えてしまい、状況の検索に時間がかかるため)

また、サンフランシスコ滞在中にトールフリーダイヤルへ予め電話して、コンファメーションを取っておくことも予防策となろう。どうせフライトのリコンファームはするわけですしね。でも、いまどきリコンファームが必要なんてね...(^^;;;)。
一番の予防は、サンフランシスコが目的地なら、サンホセ空港をゲートにするのは極力避けるということです。

 

#タクシー代140ドルが日本円に換算されて返ってきました。15,499円でした。日本円の金額を見て、やっぱりスゴイ遠かったんだなぁと実感しました。(1999/9/21追記)